中卒・高卒の有名社長・起業家まとめ!経営者と学歴の関係とは?

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中卒・高卒の社長は意外と多い!?

高卒は大卒と比べて平均年収が低い、中卒や高卒は大卒と比べると昇進スピードが違う、といった情報がある一方で、「ビジネスに学歴は関係ない」といった言葉もよく耳にします。

実際、成功者と呼ばれる大手企業の社長や世をときめく起業家の人達の中には、中卒や高卒、大学中退の方々も多くいます。

そこで、今回は学歴関係なくキャリアを駆け上った有名経営者・起業家をまとめてみました。

社長の起業時のエピソードなども一緒にご紹介していますので、合わせてお楽しみください。

社長の最終学歴、高卒・中卒の割合はどれくらい?

そもそも社長の学歴は大卒が多いというイメージがあるかもしれませんが、高卒、中卒の割合はどれくらいなのでしょうか?

東京商工リサーチが130万人の社長にリサーチした結果によると、社長の最終学歴は以下のような分布となりました。

最終学歴全社長大企業(売上高100億円以上)の社長
人数比率人数比率
中学校37,1046.74%450.48%
高等学校206,84737.58%7658.13%
短期大学9,6101.75%320.34%
大学288,77952.47%8,03785.43%
大学院5,1850.94%3453.67%
留学2,8270.51%1841.96%

これをみると社長の学歴の過半数は、大学卒ですが、高卒で37.58%、中卒で6.74%、高卒中卒の合計で約44%を占める結果となりました。

これを多いと捉えるか、少ないと捉えるかは人それぞれだと思いますが、起業・経営意欲が高ければ、学歴は関係なく社長になれると考えられるのではないでしょうか。

次章からは中卒、高卒それぞれの有名社長をご紹介していきます。

中卒の有名経営者・起業家一覧

熊谷正寿 GMOグループ社長

  • 1963年7月17日生まれ
  • GMOインターネット株式会社 代表取締役兼社長・グループ代表

上場企業9社を含むグループ114社を束ねる大手IT企業GMOグループの創業社長である熊谷氏。

国学院高等学校を2年生の時に中退した熊谷氏は、神楽坂で不動産・飲食・パチンコ業などを営んでいたお父さんのもとで働くことになります。

28歳の時までお父さんの会社で会社員として勤務した後、GMOインターネットの前進となるボイスメディアを設立し起業。その後、インターネットの波がきて36歳、設立10年未満で上場を果たしました。

28歳で独立するまでの間、熊谷氏は社長であるお父さんのポリシーでかなりの安月給で働いていたそう。

21歳で子供が生まれ、お金がない生活を過ごしていた熊谷氏が、そんな辛い日々を乗り越えるために作った手帳のことが書かれた「一冊の手帳で夢は必ずかなう なりたい自分になるシンプルな方法」は今でも経営者をはじめ多くの人に愛読されているベストセラーとなっています。

家入一真 CAMPFIRE社長

  • 1978年12月28日生まれ
  • GMOペパボ創業者、CAMPFIRE社長

元々不登校・引きこもりだった家入氏。

10代の頃は就職する気がなく芸大を目指していた家入氏ですが、親の事故で就職せざるをえない状況に。

しかし、いくつかの会社を無断欠勤などでクビになり続け、仕方なく起業をしたのが22歳。

25歳の時に、GMOの熊谷社長から出資を受けてGMOグループの仲間入りを果たし、29歳で上場。

その後は、様々な事業に挑戦をしながら、現在はCAMPFIREをはじめとする複数の会社を立ち上げる連続起業家として活躍しています。

近藤太香巳 ネクシィーズ社長

  • 1967年11月1日生まれ
  • 株式会社ネクシィーズ 代表取締役社長

高校を二度中退になり、フリーターとなった近藤氏。

当時ローンで買ったバイクを17時間で廃車にしてしまい、学校も辞めて、お金も無駄になった近藤氏が一念発起して挑戦したのが完全歩合給の訪問販売。

訪問販売でみるみる成果をあげ半年後にトップセールスになり、そのノウハウをもとに19歳・元手50万円でネクシィーズの前身会社を立ち上げます。

新しい発想力を武器に会社は成長し、34歳の時にナスダック・ジャパンにIPO(新規上場)を果たし、37歳の時に東証一部上場企業の最年少創業社長となりました。

岡村 陽久 アドウェイズ社長

  • 1980年4月8日生まれ
  • 株式会社アドウェイズCEO

東証マザーズ最年少上場を果たしたアドウェイズの岡村社長の最終学歴は高校中退。

高校進学後、周囲の環境がつまらないと感じていた岡村氏は入学2ヶ月で高校を中退。たまたま目についた「やればやるほど高収入」という求人広告をみて、訪問販売の会社に入社。

毎日12時間の営業活動を続けて成果を残していましたが、20歳の時にサイバーエージェントの藤田社長に感銘をうけてインターネットの世界に飛び込むことを決意します。

最初はサイバーエージェントへ入社するために社長に直談判をしたり、飛び込みをしたりしましたが入社はできず断念。そこで仕方なく自らインターネットのことを学び、広告事業を手がけるアドウェイズエージェンシーを起業しました。

そしてインターネット広告代理事業はみるみる伸びて、2006年26歳2ヶ月で東証マザーズ上場を果たします。

高卒の有名経営者・起業家一覧(大学中退含む)

亀山敬司 DMM会長

  • 1961年3月生まれ
  • DMM.comグループ会社

あのDMMグループの会長である亀山氏は、石川県立大聖寺高校卒業。その後、税理士を目指し専門学校に進むも中退。

19歳のころに露天商をはじめ、その後、雀荘、バー、レンタルビデオ店の経営、などを通じて98年にインターネット動画配信事業を開始します。

現在はFX事業やオンラインゲーム事業、オンライン英会話事業、ロボット事業など様々な方面にビジネスを拡大中。

自身や幹部に高卒が多いこともあり、お金がなくて進学できない人のための教育機関「DMMアカデミー」を設立したことも話題となりました。

前澤友作 ZOZOTOWN創業者

  • 1975年11月22日
  • 株式会社スタートトゥデイ代表取締役社長

億万長者ランキング世界1,135位、23位に位置する資産家であり、実業家の前澤氏。最近では、シングルマザーなどひとり親向けのコロナ寄付などでも世間の注目を集めています。

そんな前澤氏は、地元千葉県の小学校・中学校に行った後、早稲田実業高等学校に入学するも途中からは学校に行かずバンド活動に明け暮れるように。

結局エスカレーター式であがれる早稲田には行かず、音楽の道へ。その時に海外CDやレコードのカタログ通販にめをつけ、事業化。これが大ヒットして有限会社スタート・トゥデイを設立します。

その後、バンド活動を休止し経営者として生きていくことを決断しカタログ通販からネット通販へ事業をシフト、ZOZOTOWNの原型ができあがりました。

2019年9月にZOZOをヤフーへ売却、前澤氏は同時に退任。現在は、新たな会社株式会社スタート・トゥデイを設立し活動を行なっています。

ホリエモン 元ライブドア社長

  • 1972年10月29日生まれ
  • 元ライブドア社長

ホリエモンも久留米大学附設中学、高等学校卒業後、東京大学進学するも在学中にライブドア前身のオン・ザ・エッジを起業し中退しました。

ホリエモンは当時東大を中退することに全く躊躇いはなかったといいます。それは東大ブランドはすでに入学した時に獲得しているので実利は獲得できたから。面白そうなことを始められるのであれば先送りにしたくないと語ります。

2006年に証券取引法違反で逮捕されて実刑判決を受けて服役。2013年に釈放されてから、作家、アプリプロデュース、宇宙関連事業、Youtuberなど様々な取り組みを行なっています。

平林 朗 元H.I.S社長

  • 1967年11月16日
  • 株式会社エイチ・アイ・エス 元代表取締役社長

2008年から長年エイチ・アイ・エスの社長を務めた平林氏。なんと、平林氏のエイチ・アイ・エスでの最初のポジションは、アルバイト!

平林氏は、佼成学園高等学校卒業後、海外を放浪。帰国後、エイチ・アイ・エスへ入社を希望、しかし「高卒じゃ正社員は無理」という理由でアルバイトとして入社をします。

アルバイトながらバリ島での現地企業の立て直しを命じられ、わずか1年でこれを達成、正社員に昇格。その後、関東営業本部長などをつとめ、入社15年40歳という若さでエイチ・アイ・エスの社長に就任しました。

現在は、宿泊施設運営等を手がける株式会社 JHATの代表取締役を務めています。

河村泰貴 吉野家ホールディングス社長

  • 1968年11月18日生まれ
  • 吉野家ホールディングス社長

2012年に善人の安部社長から社長の座を譲り受けた河村氏。

河村氏は広島皆実高校を卒業後、吉野家で5年間アルバイトをした後に入社。はなまるの株式を買収した時の再建手腕が評価されて、43歳の若さで社長に就任しました。

実は前任の安部社長もアルバイトから入社して社長に上り詰めた人物。会社として学歴ではなく実績で評価する風土があるのかもしれませんね。

重田康光 光通信創業者

  • 1965年2月25日生まれ
  • 株式会社光通信創業者、代表取締役会長

光通信の生みの親であり、かつては東証一部に最年少上場を果たし「光速で稼ぐ男」とも呼ばれた重田氏の学歴は、巣鴨高校卒業、日本大学中退。

大学中退後に通信系の企業へ就職した後、光通信を創業。上場まで破竹の勢いで成長しますが、携帯電話の架空契約が発覚し株価が大暴落をします。

しかし、そこからメイン事業を対法人向けへとシフトし業績を回復。

日本の長者番付の常連でもあり、2020年は国内長者番付第7位となっています。

古川享 日本マイクロソフト初代社長

  • 1954年7月12日
  • 日本マイクロソフト初代代表取締役社長

「ビル・ゲイツが最も信用した日本人の1人」「インテル、入ってる」のコピーの生みの親としても有名な古川氏。

古川氏は麻布高校を卒業後、和光大学に進学するも中退をすることに。

高校は進学校で周囲は東大から商社、弁護士になるような友人ばかり。その中で古川氏は演劇、芸術に傾倒する変わった学生だったといいます。

大学進学時も3浪してしまい、自分が一気に巻き返すには?と考えて目をつけたのがコンピューターの世界でした。中退後に株式会社アスキーに入社し、その後、マイクロソフト日本法人設立時の代表を勤めることになります。

現在は、退任し、慶應義塾大学大学院の教授などを務めています。

瀬戸健 RIZAPグループ社長

  • 1978年5月1日生まれ
  • RIZAPグループ創業者

RIZAPの前身である健康コーポレーションは、瀬戸氏が明治大学中退後に個人事業主を経て創業されました。

元々パソコン教材の販売代行でトップの成績を誇っていた瀬戸氏は、なににしてもNo.1を目指す性格でもあったようです。

その後、2006年に上場を果たし、一気に拡大をするも直後に売上が急降下。現在は、急速なM&Aの結果、赤字が膨らみ事業再建に取り組んでいます。

鎌田和樹 UUUM社長

  • 1983年12月3日生まれ
  • UUUM株式会社 代表取締役、CEO

ヒカキン、はじめしゃちょーをはじめとした人気Youtuberを要するYoutuber事務所を運営するUUUM。

そんなUUUMの代表を務める鎌田氏は、2002年に都立竹早高校を卒業し、光通信系列のテレコムサービス株式会社へ入社。

ソフトバンクショップの出店や携帯取次などを経験した後に、30歳前にヒカキンとの出会いがきっかけでUUUMを設立しました。

学歴は一緒でも成功までのエピソードは人それぞれ

今回は、中卒・高卒の有名経営者をまとめてご紹介しました。

それぞれの社長の経歴をみてみると、一代で大企業を作り上げた創業者もいれば、アルバイトからどんどん頭角を表し、社長に就任した人物など、キャリアは人によって様々なことが分かりました。

また、経営者を志していた人だけではなく、会社員時代の経験からビジネスアイデアを見つけて事業を興した人や、会社員が合わずに結果として起業するしかなかった人など、起業や経営に対する思いも多様です。

成功のための方法やその道筋は人それぞれ。ご自身にとって後悔のないキャリアを歩むことが大切なのかもしれませんね。

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