この記事では、本田圭佑選手のプロデビューから現在までの年俸推移を紹介します!
名古屋グランパスでのプロサッカー入りからフェンロ、モスクワ、ACミラン、パチューカ、メルボルンと数々のクラブチームを渡り歩いてきた本田選手。一旦、これまでいくら稼いできたのでしょうか?
また、香川真司・長谷部誠・長友佑都といった海外組と比べると本田選手の年俸は高い方なのでしょうか?
彼のユニークな経歴にも触れながら、本田圭佑選手の年俸推移を見ていきます!
本田圭佑の年俸推移①名古屋グランパス時代
年 | 年齢 | 所属チーム | 年俸 |
2005年 | 19 | 名古屋グランパス | 450万円 |
2006年 | 20 | 名古屋グランパス | 1,000万円 |
2007年 | 21 | 名古屋グランパス | 1,800万円 |
星稜高校時代に冬の選手権でベスト4進出を果たした本田選手は、名門名古屋グランパスとプロ契約を結び、プロ生活をスタートさせました。
1年目の年俸は450万円でしたが、その後、期待以上の活躍を見せ、21歳にして1,800万円を稼ぐプレイヤーにまで成長しました。
本田圭佑の年俸推移②VVVフェンロ〜CSKAモスクワ時代
年 | 年齢 | 所属チーム | 年俸 |
2008年 | 22 | VVVフェンロ | 6,500万円 |
2009年 | 23 | VVVフェンロ | 6,500万円 |
2010年 | 24 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2011年 | 25 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2012年 | 26 | CSKAモスクワ | 3億円 |
2013年 | 27 | CSKAモスクワ | 3億円 |
21歳という若さにして、彼はオランダのVVVフェンロに移籍しました。
この海外移籍を機に年俸は一気に上昇しました。
2年後、ロシアの名門クラブCSKAモスクワに移籍し、24歳の若さで年俸3億円を稼ぐ選手になりました。
名古屋グランパス1年目の時と比べると65倍近く跳ね上がっています。
わずか5年ほどでここまで年俸をあげたことは衝撃的ですよね。
CSKAモスクワには合計4年間所属し、年俸は3億円を維持していました。
ヨーロッパチャンピオンズリーグも経験し、貴重な経験をできた4年間だったと本人は振り返っています。
本田圭佑の年俸推移③ACミラン時代
年 | 年齢 | 所属チーム | 年俸 |
2014年 | 28 | ACミラン | 7億7,000万円 |
2015年 | 29 | ACミラン | 7億7,000万円 |
2016年 | 30 | ACミラン | 7億7,000万円 |
CSKAモスクワでの活躍が評価され、言わずと知れた超名門クラブ、ACミランに28歳で移籍しました。
そして、なんとエースの証である背番号10を背負うことになりました。
年俸は、なんと7億7千万円!
高額すぎて、どれくらいのお金なのかイメージがわかない金額ですよね、、
ヨーロッパのサッカーには夢がありますね!!
本田圭佑の年俸推移④パチューカ〜メルボルン・ヴィクトリー時代
年 | 年齢 | 所属チーム | 年俸 |
2017年 | 31 | パチューカ | 4億5,000万円 |
2018年 | 32 | メルボルン・ヴィクトリー | 3億2,000万円 |
ACミランでの挑戦を終え、本田選手はメキシコのパチューカに移籍しました。
ACミランでの3年間は決して良い結果を残したとは言えませんでしたが、パチューカではチームの中心選手として多くの勝利に貢献しました。
年俸はACミランの時よりも減少しましたが、4億5千万円はチーム最高額です。
メキシコリーグでこれだけの高年俸を稼ぐとはさすがですね!
翌年、オーストラリアのメルボルン・ヴィクトリーに移籍しました。
年俸こそ、3億2千万円とCSKAモスクワ時代と同水準にまで減少しました。
しかし、オーストラリアでこれだけの年俸を稼ぐのは異例なことです。
なんとクラブ史上最高額の契約なのです。
しかも、その給料はクラブだけではなく、オーストラリアサッカー連盟とフォックス・スポーツという企業の3者が協力して支払うことになっています。
前代未聞の破格の好待遇です。
クラブだけでは高額すぎて支払えないほどの年俸を稼ぎ出す本田圭佑選手。
32歳になってもなお、末恐ろしいですよね。。
本田選手の年俸を他の海外組と比較!
本田圭佑選手以外の日本人プレイヤーはどのくらいの年俸をもらっているのでしょうか。
そこで、主な日本人プレイヤーの最高年俸をまとめてみました!
香川真司や長友佑都、長谷部誠など他海外組の年俸は?
選手名 | 最高年俸 | 当時所属チーム |
岡崎慎司 | 4億5,000万円 | レスター・シティ |
香川真司 | 11億円 | マンチェスター・ユナイテッド |
長友佑都 | 4億3,000万円 | インテルミラノ |
長谷部誠 | 6億円 | フランクフルト |
吉田麻也 | 3億9,000万円 | サウサンプトン |
こちら5人の中で最高年俸が最も高いのは、言わずと知れた超ビッククラブマンチェスター・ユナイテッドに所属していた香川真司選手の11億円です。
ハットトリックを決めるなどし、月間MVPに1シーズン2度輝き、プレミアリーグ優勝に大きく貢献する活躍を見せました。
2018年時の年俸を見ると、なんと最年長の長谷部誠選手(35歳)が6億円で香川選手(6億5千万円)に次ぐ、現役日本人選手で2番目に高い年俸をもらっています。
現在もフランクフルトに所属する長谷部誠選手はプロ生活スタート後、なんと1度も年俸を下げることなく、毎年成長を遂げ、活躍を続けています。
日本人選手として最上位クラスの年俸を得ていた本田!
本田圭佑選手のACミラン時代の年俸は日本人歴代3番目の数字です。
歴代1位、2位は共に香川選手で、11億円と8億円です。
その香川選手に次ぎ、7億7千万円は日本人の中で3番目の高年俸です。
パチューカではチーム最高額をもらい、メルボルン・ビクトリーではサッカー協会と一般企業からも年俸をもらい、チーム歴代最高額を稼ぐ本田選手。
これらの待遇から、本田圭佑選手がいかに海外で高い評価を受け続けているか分かりますね!!
高校時代から現在までの経歴を在籍チームごとに紹介!
2005年(19歳):名古屋グランパスとプロ契約
本田選手は、星稜高校を卒業後、名古屋グランパスでプロ生活をスタートさせました。
入団後すぐにレギュラーの座を掴むなど、着実に活躍を続け、2006年(当時20歳)には、飛び級で日本A代表に選ばれました。
北京オリンピック最終予選では主力として、日本をオリンピックに導きました。
2008年(22歳):VVVフェンロへ移籍
なんと21歳という若さにして、彼はオランダのVVVフェンロに移籍しました。
ここでもレギュラーの座をすぐに掴み、活躍をみせます。
しかし、移籍した年にチームは2部に降格してしまいます。
それでも本田選手はVVVフェンロに残留し、2年目のシーズンでは16ゴール13アシストを記録し、なんとリーグMVPを獲得しています。
2010年(24歳):CSKAモスクワへ移籍
VVVフェンロで鮮烈な海外デビューを飾った後に、その活躍が他国でも評価され、ロシアの名門CSKAモスクワに移籍しました。
開幕戦でゴールを決めるなど、上々の滑り出しを見せます。
欧州チャンピオンズリーグでは、直接FKを決めるなどの活躍を見せ、チームのベスト8進出の快挙に大きく貢献しました。
その後、怪我に苦しみながらも、着実に活躍を続け、ロシア杯優勝のタイトルなどを獲得しました。
2014年(28歳):ACミランに電撃移籍!背番号10を背負う!
本田選手がかねてより希望していたイタリアの超名門クラブACミランに移籍を果たします。
そして、なんとエースストライカーの証である背番号10を背負うことになります!
まさか日本人がヨーロッパの名門クラブで背番号10を背負う日が来るとはといった驚きや喜びが日本中を駆け巡りました。
2007年のバロンドール受賞者カカやバロテッリ、ロビーニョなど世界的なスター選手が所属する中、セリエAというレベルの高い環境で、もがきながらも活躍を見せました。
キャプテンマークを巻くなど奮闘も見せましたが、思うように得点を挙げられなかったり、チームが低迷したことなどから本田選手個人、チーム共に決して良い結果を残すことができませんでした。
2017年(31歳)パチューカへ移籍
3年間のACミランでの挑戦を終え、メキシコのパチューカに移籍しました。
デビュー戦でゴールを決める、クラブのワールドカップにも出場を果たすなど着実に結果を残し、充実した1年間を送りました。
2018年(32歳)メルボルン・ヴィクトリーへ移籍、カンボジア代表監督に就任!
ワールドカップを終え、その去就が注目されていた本田選手は、オーストラリアのメルボルン・ヴィクトリーへ移籍しました。
さらに、そのわずか数日後にカンボジア代表の実質的な監督に就任したことを発表し、世間に驚きを与えました。
選手を続けながらも代表監督を務めることは並大抵のことではなく、異例のことではありますが、本田選手らしさが出た挑戦ですね!
サッカー選手・経営者・監督と大活躍中!今後に期待!
ここまで本田選手のプロ入団から現在までの経歴をみてきました。
本田圭佑選手の過去最高年俸は、ACミラン時代の7億7,000万円。ちなみプロ入りから現在のメルボルンまでの14年間の総額は、約44億円4千万円!一般的なサラリーマンの生涯年収が3億円と言われているため、本田選手一人で15人分の生涯賃金を稼いでいる計算になります。これにCM出演料などの収入もあると考えると一体、1年間でいくら稼いでいるのでしょうか。
具体的な数字は分かりませんが、日本人スポーツ選手の中で群を抜いた数字になっていることは間違いなさそうです。
現在、本田選手はメルボルン・ヴィクトリーで現役選手を続け、2020年の東京オリンピック出場にも意欲を燃やしています。
さらに、カンボジアの実質的な代表監督を務め、二足のわらじ状態です。
加えて、日本や海外でサッカークラブの経営や投資活動をしています。
そして、「世界から貧困を無くすことが僕の本業であり、夢である」と述べた彼はいまや二足、三足以上のわらじをはき、多方面で活躍をみせています。
サッカー選手でもあり、代表監督でもあり、投資家でもあり、起業家でもある本田圭佑さんの今後に期待です!
これからの本田圭佑さんの挑戦を応援しましょう!
今後の活躍からも目が離せません!!
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